あれが欲しい雑記
AIと私が考えるあれが欲しいという雑記ブログです
2026年6月13日土曜日
あったら国宝級の三味線
三味線という楽器には、どこか不思議な力があります。
たった三本の糸なのに、そこから生まれる音は、にぎやかにも、寂しくも、力強くも聞こえます。
もしもこの世に「あったら国宝級」と言いたくなる三味線があるとしたら、どんな姿をしているのでしょうか。
まず見た目からして、ただの楽器ではなさそうです。
長い年月を重ねた木の胴には、深い艶があり、光の当たり方によって黒にも茶にも金色にも見える。
棹には細かな装飾が入っていて、派手すぎないのに、近くで見るほど職人の気配が感じられる。
糸を張っただけで、部屋の空気が少し変わる。
そんな三味線だったら、もう楽器というより、ひとつの宝物のように見えるかもしれません。
「あれが欲しい」と思うものには、便利さだけではない魅力があります。
それを持っているだけで、自分の毎日が少し特別になるような気がするもの。
国宝級の三味線も、きっとそういう存在だと思います。
実際に弾けるかどうかは別として、部屋に置いてあるだけで空気が変わる。
朝の光が差し込んだとき、三味線の胴が静かに光る。
夜になると、まるで昔の物語を抱えているように、部屋の隅でひっそりと存在感を放つ。
そんな楽器があったら、眺めているだけでも満足してしまいそうです。
もちろん、本当にすごい三味線なら、音にも特別な力があるはずです。
一音鳴らしただけで、昔の城下町や、静かな座敷、月明かりの庭が頭に浮かぶ。
明るい曲を弾けば、祭りのにぎわいが広がる。
静かな曲を弾けば、雨の日の縁側のような寂しさがにじむ。
同じ三本の糸なのに、弾く人の気持ちによって表情が変わるところが、三味線のすごいところです。
もし国宝級の三味線があるなら、音色はきっと派手すぎないと思います。
大きな音で目立つのではなく、静かな一音が心に残る。
あとから思い出したときに、なぜかまた聴きたくなる。
そんな余韻のある音が、本当に価値のある音なのかもしれません。
そして、国宝級の三味線には物語も必要です。
名もない職人が何年もかけて作ったもの。
戦乱の時代を越えて残ったもの。
誰かが大切な日にだけ弾いてきたもの。
持ち主が変わっても、音だけは静かに受け継がれてきたもの。
そういう背景があるだけで、三味線はただの道具ではなくなります。
傷があってもいい。
少し色があせていてもいい。
むしろ、その傷や古さがあるからこそ、時間の重みを感じられるのだと思います。
新品のきれいさとは違う、長く残ってきたものだけが持つ美しさです。
あったら国宝級の三味線。
それは、豪華な飾りがついた高価な楽器というだけではありません。
見る人に想像させる力があり、聴く人の心に何かを残す楽器。
そして、そこにあるだけで「これは大切にしなければ」と思わせる存在。
もしそんな三味線が目の前にあったら、きっとすぐに弾くのはためらってしまうと思います。
まずは静かに眺めて、木の色や糸の張り、細かな作りを見てしまう。
そして、少し時間を置いてから、そっと一音だけ鳴らしてみたくなる。
その一音が部屋に響いた瞬間、ただの「あれが欲しい」では終わらない気がします。
欲しいというより、残しておきたい。
持ちたいというより、守りたい。
国宝級のものには、そう思わせる力があるのかもしれません。
三味線は、決して派手な楽器ではありません。
けれど、そこには日本らしい美しさや、静かな強さがあります。
だからこそ、もし「あったら国宝級の三味線」があるなら、それは音を出す道具ではなく、時間と心を響かせる宝物なのだと思います。
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雷に撃たれた木を見て思ったこと
広い草原に、一本だけ立っている大きな木。
そこへ、空からまっすぐ雷が落ちる。
この画像を見たとき、最初に感じたのは「自然はきれいだけど、やっぱり怖い」ということでした。
人が作ったものでは出せない迫力。
一瞬で空気が変わるような光。
大きな木でさえ、雷の前では耐えきれず、真ん中から裂けてしまう。
普段は静かに立っている木も、自然の力に触れた瞬間、まるで別の存在のように見えます。
この画像のいいところは、ただ怖いだけではないところです。
暗い雲、濡れた草原、強い風、飛び散る木片。
そのすべてが、雷の一瞬を引き立てています。
木の中心から走る白黄色の光は、とても激しいのに、どこか美しさもあります。
自然の恐ろしさと美しさは、同じ場所にあるのかもしれません。
私たちは普段、天気予報を見て、雨が降るとか雷が鳴るとか、軽く考えてしまうことがあります。
でも本当は、空の変化ひとつで、風景はまったく違うものになります。
明るい草原なら、のどかで癒される景色。
けれど、黒い雲が広がり、雷が落ちるだけで、そこは一気に緊張感のある場所になります。
一本だけ立つ木には、孤独感もあります。
周りに建物も人もなく、ただ広い草原の中で雷を受け止めている。
その姿を見ると、強さだけでなく、少し切なさも感じます。
大きな木だからこそ、雷に狙われてしまう。
目立つ存在であることは、ときに危うさも持っているのだと思いました。
それでも、裂けた木の姿には、ただ壊れたという印象だけではありません。
強烈な光を浴びながら、まだそこに立っているようにも見えます。
傷ついても、折れても、完全には消えていない。
その姿に、自然の厳しさだけでなく、生命の強さのようなものも感じました。
この画像は、静かな風景ではありません。
けれど、心に残る一枚です。
雷の音が聞こえてきそうで、雨のにおいまで感じるような迫力があります。
そして同時に、自然の前では人間も木も小さな存在なのだと、あらためて思わせてくれます。
怖い。
でも、美しい。
近づきたいとは思わないけれど、目を離せない。
そんな不思議な力を持った画像だと思いました。
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2026年6月12日金曜日
壮大な地下都市
地面の下に、もうひとつの街が広がっていたら。
そんなことを考えるだけで、少し胸が高鳴ります。
普段、私たちは空を見上げて高いビルや未来の街を想像します。
けれど本当にすごい未来は、もしかすると足元のずっと下にあるのかもしれません。
地下へ続く長い階段を降りていくと、最初はただの暗い通路に見えます。
でも、いくつもの扉を抜けた先で、突然視界が開けます。
そこには、巨大な吹き抜けの空間。
天井には星空のような人工の光。
壁には白く輝く建物。
足元には水路が流れ、緑の植物が静かに揺れています。
地上の街とは違う、静かで壮大な地下都市。
車の音も、強い日差しも、激しい雨もありません。
あるのは、やわらかな照明と、遠くから聞こえる水の音。
人々は地下の広場を歩き、店の明かりを眺め、透明なエレベーターで何層にも分かれた街を行き来します。
地下なのに閉じ込められた感じはなく、むしろ守られているような安心感があります。
天井の高い空間には、人工の太陽のような光が差し込みます。
その光を受けて、地下の庭園には木々が育ち、小さな花まで咲いています。
こんな場所が本当にあったら、少し歩いてみたいと思いました。
地上の街が眠っている夜でも、地下都市は静かに明るいままです。
大きな図書館、地下鉄よりもさらに深い交通路、光る水路、空中ではなく地中に広がる展望デッキ。
「あれが欲しい」と思うものは、便利な道具だけではありません。
時には、まだ見たことのない場所そのものが欲しくなることもあります。
壮大な地下都市。
それは、地上から逃げるための場所ではなく、もうひとつの未来をつくるための街なのだと思います。
空へ伸びる未来も美しいけれど、地面の下に広がる未来にも、きっと大きな夢があります。
もし足元の奥深くに、光と水と緑に包まれた街が眠っているなら。
一度でいいから、その入口を見つけてみたいです。
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未来の壮大な建物
未来の建物と聞くと、空まで届くような高い塔を思い浮かべる。
銀色に光る壁。
雲を映すガラス。
夜になると、建物そのものが星のように淡く光る。
そんな建物が、いつか普通の町の中に立っているのかもしれない。
今の建物は、雨をしのぎ、風を防ぎ、人が暮らすためにある。
けれど未来の建物は、それだけでは終わらない気がする。
太陽の光を集めて電気を作り、
壁には植物が育ち、
空中には歩道が伸び、
屋上には小さな森がある。
下から見上げると、建物というより、ひとつの大きな生き物のように見える。
朝には、透明な外壁に空の青が映る。
昼には、人々が空中庭園を歩いている。
夕方には、沈む太陽を受けて金色に染まる。
夜には、無数の窓明かりが未来の街を静かに照らす。
その建物の中には、家があり、店があり、学校があり、病院があり、公園まである。
外に出なくても暮らせるというより、建物の中にひとつの町が入っている。
エレベーターは音もなく上へ進み、
通路には風が流れ、
窓の向こうには雲が近く見える。
高い場所にいるのに、不思議と怖くない。
そこには冷たい未来ではなく、人が安心して過ごせる未来がある。
未来の壮大な建物が欲しいと思うのは、ただ大きいからではない。
その建物を見上げたとき、
「こんなものを作れる時代まで来たのか」
と感じてみたいからだ。
昔の人が城や寺を見上げて、そこに力や祈りを感じたように、
未来の人は巨大な建物を見上げて、希望や技術や夢を感じるのかもしれない。
でも、どれだけ未来的な建物でも、そこに人の気配がなければ少し寂しい。
窓辺で誰かが朝ごはんを食べている。
空中庭園で子どもが走っている。
高い階のカフェで、誰かが遠くの街を眺めている。
そういう小さな日常があるからこそ、壮大な建物はただの巨大な物ではなくなる。
未来の建物は、きっと高くて、美しくて、不思議で、少しだけ夢のような場所だ。
けれど本当に欲しいのは、建物そのものだけではない。
その中で、普通の毎日が少し明るくなるような場所。
見上げるだけで、まだ見たことのない明日を想像できる場所。
そんな未来の壮大な建物が、いつかどこかの空の下に立っていたら、
一度でいいから、その入り口に立ってみたい。
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2026年6月11日木曜日
竹で作った鳥居
鳥居と聞くと、朱色の立派な鳥居を思い浮かべる人が多いかもしれません。
でも、もしも鳥居が竹で作られていたら。
それは豪華さとは少し違う、静かでやさしい神聖さを持っている気がします。
竹で作った鳥居は、木や石の鳥居よりも軽やかに見えます。
青々とした竹を組んで作られた鳥居は、まるで山や森がそのまま入口の形になったようです。
派手ではないのに、なぜか足を止めてしまう。
そんな不思議な魅力があります。
竹には、まっすぐ伸びる力があります。
風に揺れても折れにくく、しなやかで、どこか清らかな印象があります。
だから竹の鳥居を見ると、神様の入口というより、自然そのものに招かれているような気持ちになります。
山道の途中に、ひっそりと竹の鳥居が立っている。
周りには苔のついた石、落ち葉、細い小道。
風が吹くと、竹の葉がさらさらと音を立てる。
その奥に何があるのか、少しだけ気になってしまいます。
立派な建物がなくても、竹の鳥居があるだけで、そこは特別な場所に見えます。
人が丁寧に作ったものなのに、自然の中にすっと溶け込んでいる。
その控えめな存在感が、とても美しいです。
竹で作った鳥居は、時間が経つにつれて色も変わっていくと思います。
最初は青くみずみずしく、やがて少しずつ落ち着いた色になっていく。
その変化もまた、自然と一緒に生きている感じがしていいなと思います。
もし、こんな鳥居があったら、観光名所のように大きく目立つ場所ではなく、静かな山の奥にあってほしいです。
誰かに大声で案内されるのではなく、たまたま見つけるくらいがちょうどいい。
歩いている途中でふと出会い、少しだけ心が静かになる。
そんな場所に、竹の鳥居は似合う気がします。
鳥居は、こちら側と向こう側を分けるものです。
でも竹で作られていると、その境目が少しやわらかく見えます。
怖さよりも、やさしさ。
厳かさよりも、自然に包まれる安心感。
竹で作った鳥居には、そんな静かな魅力があります。
あったら欲しいものとして考えるなら、庭の片隅や小さな山道に置けるような、控えめな竹の鳥居がいいです。
毎日くぐるためのものではなく、たまに眺めて、気持ちを整えるためのもの。
忙しい日でも、その鳥居を見ると少しだけ呼吸が深くなる。
そんな存在だったら素敵です。
竹で作った鳥居は、豪華なものではないかもしれません。
けれど、自然の音や光、風の気配まで一緒に感じられるものだと思います。
静かな場所にそっと立つ竹の鳥居。
それは、ただの入口ではなく、心を少しだけ別の世界へ連れていってくれるものなのかもしれません。
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幻想的な満月
夜空を見上げたとき、そこに大きな満月が浮かんでいたら、少しだけ時間が止まったような気持ちになります。
ただ明るいだけではなく、どこか遠い世界の入口のように見える月。
そんな幻想的な満月が、もし自分の部屋の窓から毎晩見えたらいいなと思うことがあります。
満月の光は、太陽の光とは違います。
まぶしく照らすのではなく、静かに包み込むような光です。
道も、屋根も、木の葉も、夜の空気も、月明かりを浴びるだけで少し特別に見えてきます。
昼間なら何でもない景色でも、満月の夜になると、まるで物語の中に入り込んだような雰囲気になります。
幻想的な満月が欲しいと思うのは、ただきれいだからだけではありません。
見ているだけで、心の中が少し静かになるからです。
慌ただしい日や、なんとなく疲れた日でも、満月を眺めていると、少しだけ気持ちが整っていくような気がします。
月は何も言いません。
でも、何も言わないからこそ、こちらの気持ちをそのまま受け止めてくれるように見えるのかもしれません。
大きな満月が雲の間からゆっくり出てくる瞬間は、とても不思議です。
雲のふちが白く光り、空の奥から静かに月が現れる。
その姿には、少し怖いような美しさがあります。
きれいなのに、近づけない。
明るいのに、どこか寂しい。
満月には、そういう不思議な魅力があります。
もし幻想的な満月を手に入れられるなら、ただ飾るだけではもったいない気がします。
部屋の窓辺に座って、お茶を飲みながら眺めたい。
静かな音楽を流して、何も考えずに見ていたい。
あるいは、夜の散歩道でふと見上げたときに、目の前の空に大きく浮かんでいてほしいです。
満月は、派手なものではありません。
けれど、一度目に入ると、なぜか忘れられません。
人の心に残るものは、いつも大きな音を立てて現れるとは限らないのだと思います。
静かで、遠くて、手が届かない。
それでも見上げたくなる。
幻想的な満月には、そんな魅力があります。
だから私は、あれが欲しいと思ってしまいます。
夜空に浮かぶ、ただひとつの大きな光。
現実の中に少しだけ夢を混ぜてくれるような、幻想的な満月が欲しいです。
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切り立つ崖の上にある神社
山道を歩いていると、ふと空が近くなる場所があります。
木々の間を抜けた先に、切り立つ崖があり、その上に小さな神社がぽつんと建っている。
今回の「あれが欲しい」は、物ではありません。
欲しいのは、そんな場所にしかない静けさです。
崖の上にある神社と聞くだけで、少し怖くて、少し美しい感じがします。
簡単には行けない場所にあるからこそ、そこには特別な空気があります。
細い石段。
古びた鳥居。
風に揺れる木々。
下を見れば深い谷が広がり、上を見れば空がいつもより近く見える。
そんな場所に立つと、自然と声が小さくなりそうです。
普段の生活では、便利なものや新しいものばかりを欲しくなります。
けれど、本当に心に残るものは、手に入れるものではなく、そこへ行って感じるものなのかもしれません。
崖の上の神社には、にぎやかさはありません。
派手な看板も、大きな音も、急がせるものもない。
ただ、風の音と、木の葉の音と、遠くの空だけがあります。
そこに立っているだけで、少しだけ自分の悩みが小さく見える気がします。
崖の下に広がる景色を見ていると、今まで気にしていたことも、少し遠くに感じる。
神社という場所は、不思議です。
大きな願いをする場所でもあり、自分の心を静かに整える場所でもあります。
切り立つ崖の上にある神社なら、その力はもっと強く感じられるかもしれません。
ここまで来た。
ここに立っている。
それだけで、何かひとつ越えたような気持ちになる。
「あれが欲しい」と思うものは、形のある物ばかりではありません。
たまには、こんな場所にある静けさが欲しくなります。
スマホの画面から少し離れて、風の音だけを聞く時間。
誰かと比べることもなく、急ぐこともなく、ただ遠くの景色を眺める時間。
切り立つ崖の上にある神社は、少し怖くて、少し神秘的で、そしてとても静かな場所です。
実際にそこへ行けなくても、想像するだけで心が少し落ち着きます。
いつか本当に、そんな神社の前に立ってみたい。
そして何かをお願いする前に、まずは静かに深呼吸してみたいです。
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2026年6月10日水曜日
あったら国宝級の弓
もしも、この世に一本だけ、国宝級と呼べる弓があったら。
それは、ただ矢を放つための道具ではないと思います。
長い時間を越えて、誰かの願いや覚悟を静かに受け止めてきた、特別な存在のように見えるはずです。
その弓は、古い木で作られているのに、不思議と朽ちていません。
表面には深い艶があり、光を受けると、木目がゆっくり浮かび上がります。
派手な宝石で飾られているわけではありません。
けれど、近づくだけで空気が少し変わるような、静かな迫力があります。
弓の中央には、細く美しい金の装飾が入っています。
それは豪華さを見せつけるためではなく、長い年月を大切に守ってきた証のように見えます。
持ち手の部分には、使い込まれた革が巻かれていて、かつて誰かが本当にこの弓を握っていたのだと感じさせます。
もし、この弓に物語があるなら。
戦場で使われた弓かもしれません。
神社の奥深くに奉納されていた弓かもしれません。
あるいは、誰にも知られず、ひとつの村や大切な人を守るために使われた弓かもしれません。
国宝級という言葉には、ただ高価という意味だけでは足りません。
そこには、時間があります。
人の手があります。
祈りがあります。
そして、簡単には言葉にできない重みがあります。
この弓を見た人は、きっとすぐに欲しいとは言えない気がします。
美しいけれど、軽く触れてはいけないような気配があるからです。
飾り物として部屋に置くには、あまりにも静かで、あまりにも強い。
まるで、こちらの心まで見透かしてくるようです。
けれど、もし自分の目の前にこの弓があったら。
一度は近くで見てみたいと思います。
木の色、弦の張り、細い装飾、長い年月を越えて残った気配。
そのすべてを、黙って眺めていたくなります。
あったら国宝級の弓。
それは、強さを見せるための弓ではなく、静かに時代を越えてきた弓です。
矢を放たなくても、そこにあるだけで物語が始まる。
そんな弓がもし本当にあったなら、きっと多くの人が息を止めて見つめてしまうと思います。
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2026年6月9日火曜日
たれもいない町の大きな道路の交差点
町の真ん中に、
大きな道路の交差点がありました。
でも、そこには誰もいません。
車も通らず、
自転車も走らず、
人の声も聞こえません。
信号だけが、
赤になったり、青になったり、
黄色になったりしています。
誰も渡らない横断歩道に、
白い線だけがまっすぐ伸びています。
広い道路は、
どこまでも静かでした。
ふだんなら、
たくさんの人が行き交う場所なのに、
その日は町全体が眠っているようでした。
ビルの窓は閉じたまま。
店の看板は出ているのに、
中には明かりがありません。
バス停には誰も並んでいません。
風だけが、
道路のすみを小さくなでていきます。
こんな町があったら、
少しこわいかもしれません。
でも、少しだけ、
見てみたい気もします。
誰にも急かされず、
誰にもぶつからず、
ただ広い交差点の真ん中に立つ。
赤信号を見上げても、
止まる車はありません。
青信号になっても、
歩き出す人はいません。
町は何かを待っているようで、
それでいて、
何も待っていないようにも見えます。
もし、この交差点にひとつだけ欲しいものがあるなら、
それは大きな音ではなく、
小さな気配かもしれません。
遠くから聞こえる足音。
どこかの窓が開く音。
風に揺れる看板の音。
誰もいない町に、
ほんの少しだけ命が戻るような音です。
大きな道路の交差点は、
人がいないだけで、
まるで別の世界の入口みたいになります。
いつも見ている場所でも、
人が消えるだけで、
景色の意味が変わってしまう。
にぎやかな町も、
本当は静けさを隠しているのかもしれません。
その静けさの中に立つと、
自分の足音まで、
少し大きく聞こえそうです。
誰もいない交差点。
広すぎる道路。
止まったような町。
そこにあるのは、
ただのさびしさではなく、
何かが始まる前のような空気でした。
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2026年6月8日月曜日
海底に沈んだ古代都市
海の底に、もし古代都市が沈んでいたら。
そんなことを考えるだけで、少し胸がざわざわします。
青く深い海の中。
太陽の光は水面でゆらゆらとほどけて、海底までは細い光の筋になって届いている。
その光の下に、石でできた古い建物が並んでいる。
崩れかけた柱。
半分だけ砂に埋もれた階段。
誰も通らなくなった広場。
魚たちが窓のない神殿の中を、当たり前のように泳いでいく。
そんな景色が本当にあったら、一度でいいから見てみたいと思います。
海底に沈んだ古代都市には、地上の遺跡とは違う魅力があります。
地上の遺跡は、風にさらされ、雨に打たれ、草に覆われていく。
でも海底の都市は、海に包まれて、音もなく眠っているような感じがします。
そこには人の声も、足音も、馬車の音もありません。
ただ水の流れと、泡の音と、遠くを泳ぐ魚の影だけがある。
昔そこに人が暮らしていたとしても、今はすべてが海の一部になっている。
それが少し怖くて、でも美しいです。
古代都市と聞くと、立派な神殿や王宮を想像します。
高い石柱が並び、広場には人々が集まり、市場には果物や布や陶器が並んでいたのかもしれません。
誰かが祈り、誰かが働き、誰かが笑い、誰かが眠っていた。
そんな普通の日々があった場所が、今は海の底にある。
そう考えると、遺跡というものはただの石ではなく、時間そのもののように見えてきます。
もし海底都市を歩けるなら、まずは大きな門を見てみたいです。
海藻が絡みついた門。
そこをくぐると、石畳の道が奥へ続いている。
左右には崩れた家々があり、壁にはかすかに模様が残っている。
文字のようなものが刻まれていても、もう誰にも読めない。
でも、読めないからこそ想像が広がります。
これは誰かの名前だったのか。
神様への祈りだったのか。
それとも、ただの店の看板だったのか。
海底に沈んだ古代都市には、答えがないところがいいのかもしれません。
全部がわかってしまうより、少しだけ謎が残っているほうが、長く心に残ります。
なぜ沈んだのか。
地震だったのか。
津波だったのか。
それとも長い時間をかけて、ゆっくり海に飲み込まれていったのか。
昔の人たちは、その時何を見たのか。
最後まで街に残った人はいたのか。
大切なものを持って逃げた人もいたのか。
考え始めると、ただの空想なのに、ひとつの物語のように感じてきます。
海の底に沈んだ街は、もう人間のものではありません。
今は魚たちの道になり、貝の住処になり、海藻の森になっています。
人が作ったものが、長い時間をかけて自然に戻っていく。
それは少し寂しいけれど、どこかやさしい終わり方にも思えます。
あれが欲しい、という言葉で考えるなら、私は本物の財宝よりも、その景色を見られる小さな潜水艇が欲しいです。
静かに海の底へ沈んでいき、ライトの先に古代都市の影が浮かび上がる。
ガラス越しに、崩れた神殿を眺める。
そこを銀色の魚の群れが通り抜けていく。
何千年も前の時間と、今の海が重なって見える。
そんな瞬間を見られたら、きっと忘れられないと思います。
海底に沈んだ古代都市。
それは、ただの遺跡ではなく、夢と時間と静けさが沈んでいる場所です。
人間がどれだけ大きな街を作っても、いつかは自然の中に戻っていく。
けれど、そのあとにも何かは残ります。
石の階段。
崩れた柱。
読めない文字。
そして、そこに確かに人がいたという気配。
海の底で眠る古代都市には、そんな静かなロマンがあります。
もし本当に見つけられるなら、宝石よりも金貨よりも、その青い沈黙を見てみたいです。
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